『ヤクザと家族 The Family』鑑賞レビュー(ネタバレ若干あり)
どうも、こんにちは。McFly ( @HI-ENDBLOG ) です。
コロナ禍も気づけば丸1年。生活様式もほんと嘘みたいに変化しました。
個人的には打ち合わせも対面では無く、リモートに。
電車通勤から自転車通勤に。
週末は密になる場所は避けて、風通しの良い広々とした場所で。
元々根暗な性格なので密を避ける事はそこまで苦ではないのですが、「気にかけなきゃいけない日常」を過ごすストレスって辛いものがありますね。
時代とともに社会のあり方もほんの1年足らずで変化するものです。
今回はそんな「時代とともに変化してきた」テーマを描いた作品の紹介です。
こんな感じでまとめてます➡️
あらすじ
ヤクザという生き方を選んだ男の壮大なヒューマンストーリー。
Filmarks「ヤクザと家族 The Family」より
自暴自棄になっていた少年期にヤクザの世界へ足を踏み入れた男を中心に、暴対法によって変わっていった環境と共に1999年、2005年、2019年と3つの時代で見つめていく、一人の男とその【家族・ファミリー】の壮大な物語。
評価
満足度 ★10 (星10段階評価)
:劇場鑑賞
あっさり感想
・3つの時代。時代の変化と共に描かれるヤクザの世界の変化に衝撃を受けた。
・役者の素晴らしさを筆頭に邦画としての総合力に終始力が入りっぱなし。
・人との付き合い方は考えましょう。
ガッツリ批評
賢坊!
田舎のヤンキーはなぜか隅に置かれなかった。
僕の地元がそうだったが、ヤンチャな人間には周りの大人が気に掛ける自然な情に恵まれていた。
主人公、山本賢治。
マグマのように堆積した怒りや嫌悪がまさに爆発する前夜、シャブに溺れて命を落とした父の葬儀、その死を以っても何事もなかったかのように変化のない社会に苛立ち噴火が始まる。
1999年→2005年→2019年と時代を3つに切り分け彼を取り巻く「山本賢治」を半径として、ヤクザの社会その在り方、その変化を描く。
彼を肯定してくれた社会、受け入れてくれた社会、守ってくれた社会。それが当初彼が毛嫌いをしていた義理と人情の「ヤクザ」の社会。
運命というか巡り合わせというか人生というものは流れに逆らえず流れ着く所に流れ着く。どれほど周りが気にかけようが漕がない船は進まない。
1999年から描き出されるこの山本賢治の物語には彼がヤクザの世界に迎え入れられるプロローグに始まり、暴対法の施行から暴力にポジティブに関わる行為が駆除される時代へと一変した2019年、彼がその義理人情の世界から足を洗うまでのモノローグが描かれる。
「ヤクザの世界」の移り変わりを描く中で、実はあまり作中では「カタギの世界」の変化は描かれない。それでもこの映画を見届ける事で、その社会の在り方の差異を感じさせられてしまうのは、この20年間を実際に生き抜いた観客に歴史の変化を俯瞰材料としてうまく補完させているからだろう。
特に、2005年に対立する組の組員の殺人容疑で逮捕された賢坊が14年の懲役を経てシャバに出てきた後の展開は、シルベスタ・スタローン主演「デモリショマン」を彷彿させる程の社会の変貌に困惑せざるを得ない悲しい男の顛末を見届ける事になる。
ちょうど前回「映画えんとつ町のプペル」を見終えた後の事で、
「世間から”異端者”として排除される存在に “友だちになろう”と果たして手を差し出せるだろうか?」という疑問を永遠抱えていた所だったので、その答えがこの映画で明確に提示されていた気がする。
2019年、ヤクザの世界から身を引いた者でさえ、過去に世話になった兄貴分であろうとも「やはり付き合えない」のである。
足を洗っても尚5年、人間として扱われない社会。
当人もその家族も、その子供でさえも。
ほんの僅かな時間でも。
過去に共に過ごした恋仲であろうとも。
「関係をもつ」「接する」というただ1つの事実、経験、出来事で世の中は一刀両断排除の方向に舵を切る。
それほど “世間” や “社会” という存在は冷酷で残酷で規律により統率される社会を形成したのである。「生きる事」「生活する事」すら認めない程に。
激流に呑まれた時には時既に遅し。
荒波の中、どれほど船を漕ごうとももはや自力で大海を抜け出す事はできないのである。波は大切なものを奪っていく。仲間を、恋人を、家族を。
関われば双方に押し潰される社会情勢の中で、
賢坊!
誰かが気に留め声をかける情すらも奪われた救いのない社会の中で、
僕たちは平然と「平等」を謳うのである。
こんな人にオススメ
・「花束みたいな恋をした」の上映時間を間違えて他に見る作品を探している人
・「映画えんとつ町のプペル」を見て同じ違和感を抱いた人
・賢坊!って普段呼ばれている人。
作品詳細
『映画えんとつ町のプペル』鑑賞レビュー(ネタバレあり)
コメントを残す