『花束みたいな恋をした』鑑賞レビュー(若干ネタバレあり)
どうも、こんにちは。McFly ( @HI-ENDBLOG ) です。
もう「素晴らしい」以外の感想が無いんですが。
もはや感想を書くまでも無いんですが。
「感無量」この一言で済むのですが。
この感動と興奮を記録として僕の中に刻んでおこうと。
ポチポチとキーボードを叩いておるのです。
ラーメン食べた後に誰に届くか分からんレビューをブログに綴るそれなのです。
こんな感じでまとめてます➡️
あらすじ
東京・京王線の明大前駅で終電を逃したことから偶然に出会った大学生の山音麦<やまねむぎ>(菅田将暉)と八谷絹<はちやきぬ>(有村架純)。
好きな音楽や映画がほとんど同じで、あっという間に恋に落ちた麦と絹は、大学を卒業してフリーターをしながら同棲を始める。
拾った猫に二人で名前をつけて、渋谷パルコが閉店してもスマスマが最終回を迎えても、日々の現状維持を目標に二人は就職活動を続けるが──。
Filmarks「花束みたいな恋をした」より
評価
満足度 ★10 (星10段階評価)
:劇場鑑賞
ガッツリ批評
さりげない言葉とささいな出来事。
まさに「日常」とはその積み重ねであって、日が射して影てゆくあたり前のような時間の紡ぎ合わせを「映画」にされるともうそれは「僕らの映画」として呼吸をはじめてしまい心が叫ばずにはいられない。
細やかで誰にでも想い当たりのある「出来事」を見逃さず、そっと切り取り、まるで現像したフィルム写真のような温もりある「質感」まで感じさせるストーリメイク。「実在感」を感じさせながら、ありきたりな恋の物語に収まらず、静かに情熱的で人生がポジティブに前進する「理想的な終わりの形」の定義。





麦くんと絹ちゃんを語ることで見えてくる一つの形
構成はとにかくシンプルに大学生の絹ちゃん(有村架純)と同じく大学生の麦くん(菅田将暉)にフォーカスを絞った1つの恋の物語。
2020年。
とあるカフェにて。
巧妙なカット割りと話の運びにより、物語の「終点」を切り取ったシーンだと気付かされた後、一気に過去へと遡り、2人の出会いからを物語る倒置法が既に切ない。そして始まりから仕掛けてくるのが坂元裕二脚本。
イヤホンを片方ずつシェアし音楽に耳を傾ける若いカップルを話のネタに「イヤホンの右側と左側では流れている音楽は異なる」を論じる麦と絹。
この2人がそれぞれ個性的な角度の視点と価値観を持っており「運命的な相性」でありながら既に「別れ」を経ているという非常に印象的な幕開けである。
「つまり、右側と左側、あのカップルは別の音楽を聴いている」
一見「運命の出会い」から恋を育む物語と思いきや物語は「終焉」に向かう。
右側と左側。つまり1つの恋を物語るうえで、麦くんと絹ちゃん、双方の物語を見つめてみないと2人で紡いだ1つの恋は物語れないのである。
さぁ、それでは2人の育みを見ましょうか。と。

もうこの時点で満点越え。2人の紡ぎを音楽のLとRに例えるなんておしゃれな比喩。うなる。映画館の座席で「ぬぅーーん!」言うた。えげつない。こういう話な?ほないくで?的な。おしゃれ。
というわけで、この物語はここから「自由な恋が加速する」20代の彼らの過去に遡り、それぞれの視点、感情、経験、風景描写に至るまでとにかく細かな出来事をひたすら2人の目線で描く。描く描く。
木漏れ日に照らされる埃の煌めきまで描いとる。
冒頭、この物語は「終わる」と知らされていることで
尚更二人の感情の変化にこちらが敏感になっている。
例えるならば音楽に己の聴覚を集中させてベースラインを汲み上げるほどの集中力。じっと2人を見つめることで恋愛や人生の価値観の輪郭が浮き出る。似ているようで実は角度の異なる価値観の誤差がどんどんと2人の距離を遠ざける切なさが加速する。
2人の「感性」が小道具として輝く
そんな中「天竺鼠のライブチケット」のアイテムは印象的だった。
2人の運命の出逢い前夜。
「行かなかった・行けなかった」お笑いライブ「天竺鼠のライブチケット」が「まだ出会わぬ同じ空の下」に見立てられそれぞれの財布の中に忍ばされている。時を経て交差する共通の価値観・体験が「もうたまらんです」というほど運命的な充実感を与えてくれる。
お互いに行けばそこで会えていたかもしれないし、行けば今日の出会いは無かった。どちらかが行っていても今日の出会いは無かったし、行かなかった、行けなかった事で出会えた2人。
読書の趣味や音楽の価値観、とにかく設定されるありとあらゆる物事が「彼らの年齢的にも丁度良い塩梅」で唸り続けた。まぁ天竺鼠にとっては「なんやコイツら舐めとんのか」という件だろうど…
とにかく2人の「内側で起きるドラマ」と「外側で起きるドラマ」この4つのドラマのバランスが非常に心地良く、ドラマ全体を包む「時代」には観客の我々も体験した実際の歴史がそこに在り物語がこちら側とも交錯を始める。麦くんと絹ちゃんの「実在感」が話が進めば進むほど色濃く距離が近くなってくる。
でもこの2人の物語は2020年に終えている事を僕たちは知っている。
心地よい「はじまり」を迎え、嘘みたいな「終わり」に向かうのである。
やめてくれと。おいおいおい。この2人は永遠だろ?と。疑いは止まない。麦くんは絹ちゃんの濡れた髪を優しく乾かして、絹ちゃんは麦くんのこの2人が別れるはずがない。と。
「時代」の切り取りが観客の人生とも交差する現代版ライムライト
幕開けの「終わり」が「偽り」である可能性も含め始まった物語に不安と期待を入交える。
「変化」は突然に、というか学生時代の恋愛を経て社会人に進んだ者なら誰しも経験があるというか思い当たるというか、なかなか学生時代に思い描いていたような未来を実社会は体現させてはくれない。
夢を飲み込み、時間を奪い、心を支配して、擦り切れていく。いま抱えている「理想」を保とうとすればするほど「思い描いていた理想」とは乖離してゆく。
麦くんが夢見たイラストレーターの世界。そもそも安請負だった挿絵のギャラが良心につけ込まれ値切りの一択。飯を食うために夢を片隅に置いて就活に励み、聞いていた業務内容と異なる忙殺の社会。彼のアイデンティティを育んだ趣味やカルチャーはパズドラの中に吸い込まれて2人の関係を保つための前進だったはずの決断は逆に2人の距離を遠ざけてゆく。
何も大きな事件はない。
何も大きな問題もない。
だけど、2人の生活に社会の歯車が重なった瞬間から2人の時間は逆方向に進み始める。現代版ライムライト。
隣にいるのに「いられない時間」
過ごす時間が「空気になっていく瞬間」
今日で2人で過ごす時間をお終いにしようと決断したファミレス。出会ったあの頃の2人のように余所余所しく素直に謙虚に本や音楽の話で盛り上がる今まさに新たな物語が動き出そうとしている「いつも2人が使っていたテーブル」で会話を弾ませるカップルの姿に切なさが込み上げて思わず涙が溢れる麦くんと絹ちゃんに過去の自分の思い出を重ねた観客も少なくはないのでは。
若い頃何か「特別」なものに憧れて「普通」を否定し他人と異なるカルチャーでアイデンティティを研ぎ澄ませ、結果社会の中で何者にもなれない自分と理想を描ききれない現実の厳しさに直面し、「普通」を保つことすら困難になる淵で、2人の間に残された唯一の「理想」としての「別れ」という「現実」を選択するという彼らの前進に、なぜか己を投影し涙するのである。
恋の3幕構成「はじまり」「つむぎ」「おわり」を見届けエミネム主演「エイトマイル」以来の背中越しのバイバイで清々しく終演。
エンドロール中、脳内で勝手にドリカムの「なんて恋したんだろ」を再生させて鼻水ずびずばの大号泣。なんて良い映画見たんだろ。
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