2019-01-21

『ミスター・ガラス』鑑賞レビュー(ネタバレなし)

TCチケット

TOHOシネマズの鑑賞券が当たった!
どうも、こんにちは。McFly ( @HI-ENDBLOG ) です。
TOHOシネマズでたまに実施される「スマイルアワード」
劇場スタッフで輝いているスタッフの名前を映画鑑賞者が投票するという企画で全国の劇場スタッフの士気を上げるために実施されている企画なんだと思うけれど、今回ボクが投票させていただいたスタッフはチケットもぎりの女性スタッフでした。
過去のスマイルアワードも日頃素敵な映画時間を提供してくれているスタッフの皆さんへの恩返しとばかりに積極的に投票に参加したのですが、今回投票した彼女は手渡しで配布していた「スマイルアワード」のお知らせチラシに手書きで「よければ○○で投票お願いします!」と1枚1枚に書いていたのである。
凄い努力だし、素晴らしいアイデアだと感心してしまい、迷わず彼女の名前で投票参加させて頂いた。


もうね、お礼を言いたいのはこちらの方ですよ、TOHOシネマズ様。
特別鑑賞券ありがとうございます!!
しかもこの特別鑑賞券、鑑賞ポイントもシネマイレージも加算されました。
いやぁもう思う存分『ミスター・ガラス』楽しませて頂きました。

MIZE
早く感想を書けよ。

評価

満足度★7(星10段階評価)
:劇場鑑賞

あっさり感想

・シャマラン世界の三つ巴合戦に思わせつつ、実は…
・コラボ間の高揚感はいつまでも消えない
・おいおい、これボクたち映画脳を肯定する映画じゃないか

ガッツリ批評

全く別の世界(物語)の登場人物がある作品で共演を果たす作品は数多い。

僕の人生でその興奮を覚えた初めての作品は「映画忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ」でのパーマンと忍者ハットリくんの共演・共闘だった。

テレビで見ていたいずれも藤子不二雄作品のヒーローたちが同じ世界観の中で、しかも普段のアニメ版とは規模が異なる、地球規模で1つの世界を救おうと奮起する展開には子供心に胸が熱くなった。

今となってはMARVEL作品を始め、無理やりバトルさせる話題作りもの(貞子vs伽倻子やジェイソンvsフレディなど)、ゲームではスマブラといった具合に単体の物語の登場人物が、同一世界上で共演を果たす作品はアニメ・映画・ゲームに関わらず数多い。

結局僕たちは「まさかのコラボレーション」の虜であって、そのプレミアム感に心踊らせ、奇跡の共演がどのようなドラマを生み出すのかに期待を寄せるのである。

2001年「アンブレイカブル」

2016年「スプリット」

まさかこの2作品を同監督M・ナイト・シャマランが1つの物語に収束させるとは誰が想像しただろうか。

いや、誰が期待しただろうか。

いや、誰も予想も期待もしていなかった。

いや、むしろ「アンブレイカブル」を覚えていない。

うん、全然覚えてない。

そんな全く覚えてない作品と、ちょっと前のぼんやり話題になった作品を結び付ける

2019年「ミスター・ガラス」

しかも製作費を全額自費で撮影するという意気込み。
なんなんだ、この不思議な組み合わせは。
なんなんだ、この不気味な意気込みは。
『これは観なきゃいかん気がする』と公開初日に行ってきた。

主要な登場人物には、「アンブレイカブル」より、
乗客131人が亡くなった交通事故で唯一1人全くの無傷で生還し、それが彼自身の持つ「特殊能力」によるものとされ”不死身の肉体”としての超人的な能力に気付き始める男デヴィッド。(ブルース・ウィリス)

同じく「アンブレイカブル」より、
骨形成不全症による極度の骨の脆さで生まれ育ち、自分とは正反対の超越した力の存在信じを自身の人知を超越したIQの高さで探求し続ける男「Mr.ガラス」ことイライジャ・プライス。(サミュエル・L・ジャクソン)

「スプリット」より、
母親からの虐待により24もの人格形成に目覚め、その1つ「ビースト」と名乗る超人的な人格に目覚めた時、ショットガンすら体を貫通しないほどの強靭な肉体に凶暴化してしまう孤独な青年ケヴィン。(ジェームズ・マカヴォイ)

この3者が今作「ミスターガラス」にて、同じくして収容される事となる精神医療棟にて、新キャラクターである精神科医エリーを交え入り乱れ、「超人的な力の存在は存在するのか?」を多角的に仮説し、分析し、検証を行い、定義を行うという緻密な会話劇が中心となっている。

物語の構図として非常に上手いと感じた部分がこの4人の配置だ。

・ヒーローとしての資質と力を持つ男。
・公共防衛が及ばないほどの凶暴性を持つ悪の気質を持つ男。
・正義と悪が戦わざるを得ない状況を生み出せるシナリオメイクに長けた頭脳明晰なクレバー。
・超人的な存在価値に公共的価値観を見出す事に批判的な人間。

実にアメコミ的で、実に映画的。

僕たちが暮らす世の中に似通った非常に現実的な世界観の中で描かれる超人的な力の存在の誕生の可能性について、
「生み出す」のか「消し去る」のかという種火の部分をシャマラン監督なりにじわりじわりとあぶりだしていく。

特に今回新キャラクターとなる精神科医エリーの存在は面白い。

彼女の徹底して「超人的な力の存在を認めない姿勢」には、様々なメタファーを感じる部分が多い。

例えば日本でも大きな殺人事件などが発生し、事件の犯人が特定された場合、その犯人が特定のアニメやゲームの趣向があると報道された際に必ず数パーセントの世論の声が上がる「アニメ・ゲームの悪影響の可能性」問題だ。
世界的にもその手の意見は少なくはないようだ。

科学的根拠を持って否定出来ないものを圧倒的多数意見をもってマイノリティを淘汰しようとする動きや考え方に、エリーのキャラクターと非常に類似する印象を受ける。

彼女のような「声」のメタファーとの対峙には、マイノリティな声のメタファーである『ミスターガラス』の存在が必要であり、また彼の声を生かすためにはデヴィッドとケヴィンの存在、そして彼らを闘わせる必要があったという物語の運びや発想には「どこまで考えてるんだこの監督は」と呆れてしまうレベルに素晴らしい者がある。

ただただ「多数」であった事が「一般常識」となっただけの結果論にも関わらず、この歴史の中で「少数派」の意見は淘汰され続けてきた。

シャマラン監督はこの映画でその「少数派」に存在し得る「力」や「奇跡」「大きな存在価値」を見出せるのではと語りたかったのではと考察する。

不死身の男デヴィットと鬼人ケヴィンの第24人格目のビーストとの「力の闘い」家族や愛する者に自由を与えたいとするドラマ的側面での闘い。
コミックコレクターでもある人知を超える天才Mr.ガラスが信じる「超人的な力の存在」と、その存在を真っ向から否定する精神科医エリーとの「知能の闘い」

様々な「闘い」を作品の中で描きつつ、作品の外でも同様に物語が物語る強さの主張を感じざるを得ない。

「ヒーロー映画は世間に悪影響を及ぼすのか?」

「ヒーロー映画は不要なものなのか?」

いや、ヒーロー映画こそ心に生を宿す力強さに秘めた産物なのだとこの映画では物語の中の悪の存在も含めてそれらの存在を全て肯定している。

「アンブレイカブル」「スプリット」を通じ、その2作を結ぶ「ミスター・ガラス」によって、ボクたちアメコミ脳な観覧者や映画脳なオーディエンスに救いにその存在価値を認めてくれているのが今回のシャラマン最新作なのである。

これを「観ない」という選択肢を選んだのならば、それは1つの可能性を消し去ったと同じ事なのだという面白い提唱を体験できる。

こんな人にオススメ

・自分は特別な人間なのではと感じる人
・特別な人間は必ずいると信じている人
・自分を守るために多重人格に目覚めた人

作品詳細

映画『ミスター・ガラス』公式サイト
映画『ミスター・ガラス』Filmarksリンク
2019年01月18日上映(2018年製作)/製作国:アメリカ/上映時間:129分/ジャンル:サスペンス・スリラー

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